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足利尊氏 (1305-1358)

室町幕府初代征夷大将軍。 元寇以降、困窮する武士らを支えられず権威を落としつつあった鎌倉幕府と、かねてより天皇親政の理想にもえていた後醍醐天皇との対立が深まるなか、元徳3年(1331)、ついに元弘の乱...

E・F・フェノロサ (1853-1908)

アメリカの日本美術研究家。 ハーバード大学卒業後、明治11年(1878)に来日し、東京帝国大学に着任。教鞭をとるかたわら、日本の古美術を研究し海外へ紹介しました。岡倉天心とともに古美術の保護を指導し、...

役行者 (634-701)

7世紀後半の山岳修行者。「修験道」の祖として崇拝されます。 修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教や陰陽道などの影響のもとに習合された日本独自の宗教です。大自然そのものを神とし、その顕現を仏とし、霊山を...

智証大師円珍 (814-891)

平安時代前期の天台宗の高僧。入唐八家のひとり。園城寺(三井寺)中興の祖で、天台宗寺門派の祖としても仰がれます。 円珍は、弘仁5年(814)に讃岐国那珂郡に生まれます。俗姓は和気氏。母は佐伯氏の出自で空...

武蔵坊弁慶 (生年不詳-1189)

鎌倉時代初期の僧。謡曲や歌舞伎などにも多く描かれ、英雄豪傑としてひろく親しまれています。 熊野の別当の子に生まれ、鬼神のような怪力をもっていたことから「鬼若」と名づけられたと伝わります。やがて比叡山の...

天台・智証両大師講

11月24日は天台宗の開祖・天台智者大師智顗の忌日にあたり、天台大師が開基した中国浙江省の天台山国清寺に学んだ智証大師を加え、二人の大師の高徳をたたえる法会が営まれます。「講式」とよばれる、漢文訓読体...

新羅社法会

新羅明神をまつる新羅善神堂で行われる法会です。その淵源は古く、永承7年(1052)9月19日に三井寺長吏・明尊大僧正によって始められた盛大な祭礼であったと伝わります。現在は、一山僧侶総出仕のもと法華経...

盂蘭盆会

三井寺の盆法要(盂蘭盆会)は、新暦の8月15日に西国観音霊場第14番札所の観音堂で奉修されます。本尊・如意輪観音の御宝前に三界万霊の位牌を奉安し、祖霊や無縁仏などすべての霊が供養回向されます。...

彼岸会中日法要

春と秋の彼岸を迎えると、中日に当たる春分、秋分の日に西国第14番札所の三井寺観音堂では、ご先祖を供養する法要が行われます。秘仏の如意輪観音坐像をまつる観音堂は、後三条天皇がご病気になられたときに、平癒...

智証大師御逮夜法要

「逮夜」とは、葬儀や年忌などの前夜のことで、三井寺の祖・智証大師円珍の忌日である10月29日の前夜に奉修される法会です。智証大師の祖廟である唐院大師堂にて行われ、一年に一度御開扉される国宝・智証大師坐...

三井寺鐘供養

近江八景のひとつ「三井の晩鐘」で有名な梵鐘を供養する法要です。三井寺では江戸時代から旧暦7月15日は女性の参詣日とされていたことから、現在では新暦の8月に行われています。この鐘は音色の良いことから「音...

智証大師生誕会

三井寺の祖・智証大師円珍は、弘仁5年(814)3月25日に現在の香川県善通寺市で生まれました。四国八十八ヶ所第76番札所の金倉寺が生誕寺となっています。俗姓は和気氏、母親は佐伯氏で弘法大師空海の姪に当...

伝教大師会

弘仁13年(822)6月4日に入滅された日本天台宗の開祖・伝教大師最澄の忌日に営まれる法会です。三井寺では現在、唐院潅頂堂に大師の尊像をまつり、法華経による法華三昧法(法華懺法)の形式で行われています...

修禅大師会

三井寺の祖・智証大師円珍の師匠である修禅大師義真の忌日に行われる法要です。修禅大師は、伝教大師最澄とともに唐に渡り、天長元年(824)には初代の天台座主となり、伝教大師没後の天台宗の興隆に尽力しました...

千日会

西国観音霊場第14番札所の三井寺観音堂で行われる法要で、この日に観音様にお参りをすると千日お参りしたのと同じだけの功徳があるとされています。かつては願掛けをして社寺に千日間参拝する「千日参り」が行われ...

近松寺

三井寺五別所のひとつです。「高観音」とも呼ばれ、近江西国観音霊場・第4番札所となっています。境内は、三井寺観音堂より小関越の道を越えてさらに南方の山上に位置し、本堂を中心に北に阿弥陀堂、南に弁才天社が...

安然と投足弁天

むかし、安然という碩学の僧がいました。比叡山で学問を究めたものの生活は苦しかったようで、ある日のこと、安然は弁財天に「福を授けてくれるように」と頼みました。ところがなんとしたことか、弁財天は片足をまえ...

なべ塚の碑

幕末〜明治維新期の探検家・松浦武四郎の愛用の鍋を埋めて建立したものです。明治16年(1883)7月の建立で、三井寺観音堂西方の台地に立ちます。 松浦は弘化元年(1844)、蝦夷地に入って全島を探検、調...

観音さまの御遷座

西国観音霊場第十四番札所である観音堂はもとは正法寺とも呼ばれ、現在地よりもはるか山上の華の谷というところにありました。この華の谷に登るには道が険しく、また女人結界のため女性は参詣ができず、観音さまの御...

鯉になった僧 興義

平安時代の中頃、三井寺に興義という名の絵の巧みな僧がいました。興義は、仕事の合間に琵琶湖に小舟を浮かべ、漁師から買い取った魚を湖に還してやり、その魚の遊ぶさまを描くことを喜びとしていました。 あるとき...

謡曲『三井寺』

謡曲に世阿弥の作と伝えられる『三井寺』という名作があります。駿河国(静岡県)清見ケ関の女性が、子買いにさらわれたわが子を捜し訪ねて、京都・清水寺参籠の霊夢で三井寺へ参れと告げられます。 ときはあたかも...

三井寺の門たたかばやけふの月

元禄4年の八月十五夜、中秋の名月の日に、木曽塚の無明庵で月見の句会が盛大に催されます。 歌詠みにとって、旧暦八月といえば、月の歌のみ詠み、月のみ心にかけたといわれるほどの句会は盛り上がり、風狂は尽くさ...

閼伽井

金堂の近くには天智・天武・持統の三帝が御産湯に用いたという「三井の霊泉」があります。 古来より閼伽水として金堂のご本尊・弥勒さまにお供えされています。 三井寺という呼称は、人々がこの神聖な湧水がある寺...

大友与多王

近江大津宮の滅亡とともに悲運の最後をとげた大友皇子(のちの弘文天皇)。 壬申の乱により、満24歳の若さで亡くなった大友皇子には大友与多王とよばれる子供がありました。 大友与多王は父の死後、邸宅があった...

秘仏 金堂の御本尊

三井寺の金堂にお祀りするご本尊、弥勒さまです。 このご本尊は今から千三百年余り前、三井寺が創建された時に天武天皇から賜わったと伝えられていますが、絶対の秘仏となっているため、この仏様を拝したひとは誰も...

童子因縁の鐘

西国十四番札所観音堂への石段を登りつめた右手に建つ鐘楼は文化18年(1814)の 建立で、かつては、「童子因縁之鐘」と呼ばれる鐘が釣られていました。 この鐘を鋳造するに際し、三井寺の僧たちは大津の町々...

相模坊と天狗杉

三井寺の本堂・金堂の向かいには天狗杉と呼ばれる樹齢千年と伝えられる樹高約20mの老杉があります。 室町時代の初め、相模坊道了という僧が三井寺の僧坊、勧学院で密教の修行をしていたとき、ある夜、突如として...

原爆犠牲者慰霊法要

原爆による犠牲者を慰霊し、世界平和を祈願する法要です。三井寺では昭和28年から毎年続けられています。 この日は多くの市民が西国十四番札所観音堂前に集い、広島に原爆が投下された午前8時15分に黙祷が捧げ...

智証大師御祥忌法要

三井寺の祖・智証大師の命日である10月29日に唐院で執り行われる大法会です。 秘仏の国宝・智証大師像が開扉された唐院大師堂で、僧侶による僧讃の唱和と伝供が修せられます。 また、唐院潅頂堂では三井古流煎...

教待会

三井寺を守護する教待和尚を讃仰する法会で、教待堂で執り行われます。 『古今著聞集』によると、教待和尚は、弥勒如来の化身として仏法を護持するために三井寺に住し、この聖地を守っていましたが、智証大師の入山...

鼠になった頼豪阿闍梨

十八明神は、三井寺を守護する神ですが、一般には「ねずみの宮さん」の呼称で人々に親しまれています。平安時代、三井寺の頼豪阿闍梨という高僧に朝廷から皇子誕生を祈願するよう勅命が下りました。 その後、祈祷の...

弁慶の引摺鐘

平安時代、田原藤太秀郷が近江の三上山の大ムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。 その後、比叡山延暦寺との争いで荒法師武蔵坊弁慶が三井寺に攻め入り、この鐘を奪...

本山採灯大護摩供

採灯大護摩供とは、人々の願いを託した護摩木を聖火に投じ、所願成就を祈願する修験特有の法会です。 西国十四番札所・観音堂に参集した山伏装束の僧侶や行者は、本山旗を先頭に練り歩いた後に神変行者堂に至ります...

三井寺千団子祭

智証大師の守護神、鬼子母神を祀る護法善神堂は、古来より子授け、出産、育児の守護神として信仰をあつめ、「千団子さん」の呼び名で親しまれています。 毎年五月に行われる「千団子祭」は、貞治2年(1363)以...

三井寺札焼

不用となった古札を焚き上げ、その魂を本宮に還帰さす毎年1月15日に行われる法要です。 三井寺の護法善神堂前にて、四方を結界された梵場にお守りや祈祷札、人形などが高く積み上げられます。導師により法要の趣...

仁王会

新年を迎えた8日、本堂の金堂では仁王会が行われます。 仁王会は、護国三部経のひとつである仁王経を読誦することにより天変地異などの災難を攘って、天下泰平、万民豊楽を祈願する法会として、わが国では斉明天皇...

尊星王星祭

尊星王星祭とは、北極星を指す尊星王を天尊とする密教修法で天変地異のないことや息災延命を祈って、星を供養する法会のことで毎年節分の時期に行われます。 尊星王法は、園城寺だけが伝える独特の法会の一つとして...

涅槃会

涅槃会とは、涅槃講とも称し、釈迦が入滅された旧暦2月15日に釈尊の遺徳を讃歎し、報恩感謝を捧げる法会です。 現在の涅槃会は、慶長15年(1610)から再興されたもので、毎年新暦の3月15日に奉修されて...

潅仏会

釈尊の誕生を祝う仏教行事で、日本では「花まつり」とも呼ばれ、毎年4月8日に行われます。 金堂で行われる現在の潅仏会は、元文5年(1740)に花御堂と誕生仏が制作され再興されたものです。 法要では、金堂...

三井古流青山茶会

三井寺を宗家とする三井古流煎茶道は、江戸時代の文化・文政のころ(1804~1830)、三井寺の壷井軒と称する長老が、天智・天武・持統の三天皇が御産湯に用いられたと伝える「三井の霊泉」から絶えることなく...

除夜会

除夜会とは、年の瀬に仏前にて一年を振り返り反省しつつ新たな一年を迎える法要のことです。 三井寺では、大晦日の午後11時、全国より寄せられた献灯に照らし出された金堂で、僧侶たちによる読経の声が聞こえてき...

護法社(護法善神堂)石造橋

護法社前の放生池に架かる石造反橋で、橋桁の刻銘により享保10年に建造された。木造橋を模した幅約3.4m、長さ約10.5mの大規模なもので、意匠も優れ、昭和23年(1948)に国の重要美術品に認定され、...

観音堂書院

京都嵯峨にあった旧村雲御所の書院。村雲御所は文禄5年(1596)、豊臣秀次の生母(秀吉の姉)日秀尼により秀次の菩提を弔うため後陽成天皇から瑞龍寺の寺号を賜り創建された。昭和36年(1961)に京都から...

法明院

三井寺の律院として江戸時代中頃に義端和尚によって創建された。以来、多くの学僧を輩出し、明治期には上野の博物館(現在の東京国立博物館)の創設者として初代館長をつとめた町田久成や岡倉天心とともに日本美術の...

三井寺

天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。7世紀に大津京関連の寺院として建立され、8世紀中頃に智証大師円珍が天台別院として中興した寺院である。 境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとさ...

地蔵堂(南院札所伽藍)

長等神社から観音堂へと登る石段の中程に建つことから「中阪地蔵」と呼ばれている。享保19年(1733)の『近江輿地志略』には「坂の半にあり、地蔵菩薩の像長五尺二寸、定朝作なり」とあり、現在のお堂は、文政...

筒井浄妙塚

治承4年(1180)、後白河法皇の皇子・以仁王と源三位頼政が平清盛に反旗を翻したときに従い、宇治橋の合戦で奮闘した三井寺の僧兵・筒井浄妙房の古跡と伝える。その奮戦ぶりは『平家物語』の「橋合戦」に描かれ...

三井寺文化財収蔵庫

三井寺の開祖・智証大師生誕1150年を記念して平成26年(2014)10月に開館した鉄骨鉄筋コンクリート造り平屋建、延べ床面積464平方メートルの収蔵庫で、内部には、桃山障壁画の最高傑作と称される狩野...

護法社預坊 表門及び門番所

こちらは、護法社預坊(ごほうしゃあずかりぼう)である財林坊(ざいりんぼう)の表門及び門番所(もんばんしょ)です。 預坊とは三井寺の新羅社や唐院などを管理する僧侶の住まいを指します。 護法社預坊は江戸時...

微妙寺

微妙寺は三井寺五別所のひとつ。別所とは平安期以降、広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた別院で、他に水観寺・近松寺・尾蔵寺・常在寺があり、総称して「三井寺五別所」という。微妙寺は正暦5年(99...

十八明神社

十八明神は寺院の伽藍を守護する神で、智証大師が貞観17年(875)に創建したと伝える。現在の社殿は天保7年(1836)に再建された。...

鐘楼(南院札所伽藍)

屋根は檜皮葺で、一階部分に城の天守台のように裾の広がった袴腰を付ける総ケヤキ造の鐘楼(しゅろう)。全体の均斉もよくスマートな美しさを示す。現在の建物は、天明2年(1782)建立されたものを文化11年(...

手水舎(南院札所伽藍)

六注造、吹き放しの水舎。中央に六弁の水盤が据えられ、周囲を六角形の手水鉢と溝が取り囲む。内部に明治14年(1881)の建立を記す扁額がかけられている。...

絵馬堂(南院札所伽藍)

観音堂の境内の東端の切り立った崖に接して建つ。観音霊場として絵馬の奉納が多いことに対応したもので、6本の柱が露出した吹放しの簡素な建物である。...

宝寿院

宝寿院は、三井寺の南院に所属する僧房で、旧くは最楽坊と称し、慶長年間(1615~1624)に宝寿坊法印良玉によって再興された。建物は、安永7年(1778)の再建で、現在は三井寺を宗家とする三井古流煎茶...

本寿院

本寿院は、三井寺の南院に所属する僧房で、慶長年間(1615~1624)に松養坊浄眼によって再興された。現在の建物は、文久2年(1862)に再建されたもので、平成26年に大改修を施し、参詣者のための休憩...

行者堂

もと西国14番札所伽藍に属する不動堂であったが、明治11年(1878)に西南戦争出征記念碑の建設にあわせて天神山に移され、明治33年(1900)に現在地に移築された。宝形造、本瓦葺の建物で、修験道の開...

総門

元来は三井寺南院の総門として建立された。中世以降、三井寺は北院、中院、南院の三院に分かれ、多くの僧兵を擁したことから外周には濠を構え、石垣で枡形をつくり厳重な山門が設けられていた。現在の総門もかつての...

妙厳院

妙厳院は、三井寺の南院に所属する僧房で、慶長18年(1613)に安養院正玄法印により中興された。慶長3年(1598)の坊領は20石2斗8升。...

光浄院庭園

国宝・客殿の南に広がる池泉観賞式の庭園。江戸時代の作庭書『築山庭造伝』(前編)にも名庭として紹介されている。池中に石橋を架けた中島(亀島)や夜泊石を設け、山畔には立石を組んだ枯滝を配する。池が客殿広縁...

唐院四脚門

唐院は、金堂から観音堂へ向う参道の山側に一段高く石垣と土塀で囲われた区域で、智証大師の御廟である浄域への正門として寛永元年(1624)の建立された。建立当初は、控柱のない棟門であったのを承応4年の修理...

村雲橋

智証大師が、この石橋を渡ろうとしたとき、大師が学ばれた中国・長安の青竜寺が焼けているのを察知され、さっそく真言を唱え閼伽水をまくと、橋の下から一条のムラ雲が湧き起り西に飛び去った。その後、青竜寺からは...

三尾影向石

勧学院の四つ辻から山手に続く参道を登っていくと井筒形の石の囲いのなかに大きな石が鎮座している。この磐座の上に三尾明神が降臨するといわれ、三尾影向石と呼ばれている。三尾明神は長等山の地主神で、三井寺南院...

園城寺天狗杉

金堂前には目通し周囲約4mに及ぶ杉の巨木がそびえている。修行僧が一夜のうちに天狗になって飛び去ったとの伝説から「天狗杉」と呼ばれている。樹幹の先端部は落雷により枯れた状態となっているが、全体に枝葉が繁...

松尾芭蕉句碑

近江の地をこよなく愛した松尾芭蕉(1644~1694)は、元禄4年(1691)仲秋の名月の日、膳所の義仲寺無名庵で開かれた句会で「三井寺の門敲かばや今日の月」の名句を残している。平成6年(1994)1...

熊野権現社

平治元年(1159)に白河天皇の皇子・行慶大僧正が、三井修験道の鎮神として勧請したのにはじまる。その後、三間社流造の社殿として応永5年(1398)、文亀元年(1501)、慶長6年(1601)と度々建て...

霊鐘堂(弁慶鐘)

昭和初年に古鐘堂の古材をいかして改築したもの。堂内には重要文化財の霊鐘「弁慶の引摺鐘」として名高い大鐘と「弁慶の汁鍋」が安置されている。汁鍋は、むかし僧兵たちが用いたことから「千僧の鍋」とも称され、三...

善法院庭園

善法院は三井寺の6碩室のひとつとして格式高い子院で、面積2,681平方メートルの庭園は昭和9年(1934)に国の名勝・史跡に指定されていたが、昭和16年(1941)の集中豪雨による山津波で土砂に埋没し...

水観寺

長久元年(1040)、明尊大僧正によって創建された五別所寺院のひとつ。現在の本堂は、明暦元年(1655)の再建で、昭和63年(1988)に現在地に移築された。...

唐院探題灯篭

智証大師御廟である唐院へと向かう参道沿いには、歴代の探題によって奉納された石灯籠が立ち並ぶ。...

弁天祠(釈迦堂)

釈迦堂前の池にまつられている。天和3年(1683)に唯覚坊周舜によって建立された。当初は弁財天のほかに脇侍として多聞天、大黒天もまつられていたと伝える。文久元年(1861)に再建され、昭和7年(193...

無名指燈籠(金堂前)「大場灯壇」

金堂前にある石燈籠。寺伝によると大津の地に遷都された天智天皇が、天智7年(668) に三井寺と関係の深い崇福寺を創建したとき、空から美しい花々が降り注いで祝福したという。これをみた天智天皇は、大化の改...

教待堂

鎌倉時代の説話集『古今著聞集』にも紹介されている教待和尚をまつるお堂。教待和尚は智証大師入山まで三井寺を護持していた不思議な老僧で、三井寺を大師に譲り石窟に姿を隠したという。後に大師が石窟上にお堂を建...

園城寺護法善神堂(千団子社)

護法善神堂は、子供の守護神・鬼子母神(重要文化財)をまつり、毎年5月に行われる祭礼「千団子祭り」で親しまれている。祭礼の隆盛とともに享保10年(1725)から大規模な整備が行われた。南北約20m、東西...

園城寺毘沙門堂

もと三井寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和2年(1616)に建立された。明治43年(1910)に南院の上三尾社近くに移され、昭和31年(1956)の解体修理に際して現在地に移築された。平成元年(...

園城寺観音堂(南院札所伽藍)

西国観音霊場の第14番札所。本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏である。後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝える。その後、...

園城寺百体堂

堂内正面には、三井寺の如意輪観音像を中心に西国三十三所の観音像をまつり、左右に坂東三十三所、秩父三十四所の合わせて百体の観音像を安置する。江戸中期以降、庶民のあいだにまで広がっていった観音巡礼信仰の高...

園城寺観月舞台

長等山の斜面にそって足代柱を立てて櫓に組み上げた懸造(舞台造)で、檜皮葺屋根が柔らかい曲線を描く優美な建築である。眼下に琵琶湖の景観が広がり、琵琶湖疏水と大津の町並みを望む。江戸時代から琵琶湖を展望で...

園城寺一切経蔵(経堂)、八角輪蔵

仏典類を網羅した一切経(大蔵経)を収める書庫。内部を鏡天井とし、軒の_の間隔を広くとった疎_(まばらだるき)、花頭窓、欄間には波形格子をたてるなど典型的な禅宗様の経堂で、もとは山口の大内氏第26代当主...

園城寺鐘楼(三井の晩鐘)

慶長7年(1602)に三井寺長吏・准三宮道澄によって梵鐘とともに建立された。内部には近江八景の「三井晩鐘」知られる巨大な梵鐘がつるされている。この鐘は伝説の古鐘「弁慶の引摺り鐘」の跡継ぎとして豊臣家に...

園城寺唐院大師堂

智証大師の御廟として唐院の中心建築である。屋根は宝形造、檜皮葺の簡素なお堂であるが、堂内には秘仏である国宝に指定された2躰の智証大師坐像(中尊大師・御骨大師と称する)と重要文化財の黄不動尊立像が厳重に...

園城寺唐院潅頂堂

入母屋造、檜皮葺、正面中央に軒唐破風を設ける上品で軽快な住宅風建築である。慶長年間に大師堂の拝殿として建立されたもので、内部は前後2室に分かれており、伝法潅頂などの密教儀礼が行われる。...

園城寺塔婆(三重塔)

慶長6年(1601)、徳川家康が三井寺に寄進したもの。もと奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔で、豊臣秀吉が文禄3年(1594)に伏見城に移していたのを再び移建した。軒深く三重の釣合もよく、相輪の...

園城寺勧学院客殿

光浄院客殿とともに書院建築の代表的遺構。室町時代の武家住宅の典型である「主殿造」の様式を伝える貴重な書院として知られている。慶長5年(1600)に毛利輝元によって建立された。内部の間取りは3列9室に分...

園城寺大門(仁王門)

三井寺の表門で、檜皮葺の二階建ての楼門。もとは天台宗の常楽寺(湖南市石部町)にあったのを豊臣秀吉が伏見城に移し、その後、慶長6年(1601)に徳川家康が三井寺に寄進した。全国でも有数の美しい楼門として...

園城寺食堂(釈迦堂)

檜皮葺屋根の簡素な住宅風建築。御所の清涼殿を移築したと伝え、多くの僧や衆徒を擁した寺院では食堂(じきどう)として用いられたという。現在は、清涼寺式釈迦如来像を本尊としてまつることから釈迦堂と呼ばれてい...

園城寺閼伽井屋、三井の霊泉(閼伽井屋内部)

閼伽(あか)とは水のことで、仏に供える水や花を用意する施設が閼伽井屋である。金堂と同じく桃山風の秀麗な建物で、石組に囲まれた内部には、天智・天武・持統の三帝の産湯に使われことから三井寺の名の由来となっ...

園城寺金堂

三井寺の総本堂。正面、奥行とも23mをこえる堂々とした仏堂で、重厚さのなかに檜皮葺の屋根が軽快で美しい名建築として知られている。内部は、外陣・内陣・後陣に区切られ、本尊・弥勒仏を安置する内陣中央は床を...

園城寺新羅善神堂

三井寺の北院伽藍の中心。 14世紀前半に足利尊氏によって再興された三間社、流造(ながれづくり)を代表する社殿建築。外観には目立った装飾を使わず、 簡素で上品な建築となっている。内部には開祖・智証大師ゆ...

園城寺光浄院客殿

日本の住宅建築の源泉となった書院造の代表的遺構。三井寺の僧で、瀬田城の城主として豊臣秀吉に仕えた武将でもあった山岡道阿弥景友の建立と伝える。内部の一之間、二之間には狩野山楽をはじめ狩野派による障壁画(...