旧膳所城下町

江戸時代、徳川家康は大津城を廃城とし、新しく膳所城を築きました。これは大津を商業都市、膳所を軍事都市として役割を分けるためであったと考えられています。
膳所の城下町は、西庄村・膳所村・別保村などの5つの村にまたがり、その間を東海道が通ります。東海道の東西に町家や武家屋敷がならび、北の入口には大津口総門、南の入口には瀬田口総門が置かれました。『淡海録』によれば、貞享2年(1685)に総戸数930戸、内訳は侍屋敷499戸・町家409戸・寺院22カ寺にのぼり、総人口は3,094人と伝えます。
現在、京阪電鉄に平行する旧東海道の町並みは、旧武家屋敷跡の土塀や曲折した小路を残すなど昔の面影を偲ぶことができます。

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