大津算盤

大津算盤は、東海道筋の大谷町から追分町までのあいだで大津絵や縫針などとともに、大津を代表する特産品のひとつとして売られていました。大津算盤の由来は、慶長17年(1612)に長崎奉行・長谷川藤広にしたがい長崎にいた片岡庄兵衛が、明から渡来した算盤をもとに、創意工夫をこらし、日本独自の算盤を製作したことに始まります。大津算盤は、釘や鋲を一本も用いないこと、また裏桟と枠の組み方が複雑な方法で講じられ「大津指」ともよばれる秘伝をもち、さらに珠の大きさに比較して竹芯が細いなどの特徴を有していました。
算盤製造は明治期に入って廃れていきましたが、算盤師の看板や製作道具、「宝永二年(1705)」銘の算盤などが現存しています。なお、製作道具と宝永銘の算盤は市指定文化財に指定されています。

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