寒川辰清 (1697-1739)

江戸時代中期の儒者、国学者。
元禄10年(1697)に京都油小路出水の中邨土佐守の二男として生まれ、のち膳所藩士・寒川辰成の婿養子となりました。膳所藩主・本多康命、康敏の二代にわたって藩主の侍講(学問師範)として仕え、二百石を給されます。
享保8年(1723)、藩命により『近江輿地志略』の編纂に着手し、10年余の歳月を経て同19年(1734)に完成に至ります。完成後は、膳所藩の秘本として取り扱われますが、寛政10年(1798)に幕府に献上されたのち公けにされました。全101巻100冊からなる大部で、内容は歴史的、地理的に近江国全体を概観したあと、滋賀郡から各郡の村ごとにその位置や地勢、名所旧跡、神社、寺院、故事などが示されています。近江国の地誌辞典ともいうべきこの本は、滋賀県の地域史を研究する上で欠かすことのできない基礎資料となっており、現在、辰清の自筆清書本は県指定有形文化財に指定されています。

一般観覧
地蔵堂・早尾神社・慶祚阿闍梨の入定窟

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