天智天皇 (626-671)

日本の第三十八代天皇。歴代天皇のなかでも最も著名な人物として知られます。
推古天皇34年(626)に奈良・飛鳥の地に生をうけました。即位前は中大兄皇子。645年、中臣鎌足とはかり、当時権力を握りつつあった蘇我入鹿を打倒し、中央政権国家をめざして「大化改新」と呼ばれる国政改革を行いました。公地公民制や国・郡・里制の実施、班田収授や租庸調の新税制の開始など、一連の改新の政策が始まり、日本は律令国家への道を歩むこととなりました。663年、百済軍を支援して、唐・新羅連合軍と戦った白村江の戦いで敗れた中大兄皇子は、唐による日本侵攻に備えるため、近江大津宮に遷都(667年)します。そしてその翌年、43歳にして即位し、天智天皇となりました。大津宮においては、日本最初の全国的な戸籍「庚午年籍」の作成や、時を告げる「漏刻」を設置したことが知られています。日本の時間は、大津にはじまったといえるかもしれません。671年、天智天皇は即位後4年たらずで崩御されます。その翌年には、後継をめぐって天智天皇の弟・大海人皇子と子・大友皇子が争った古代日本最大の内乱「壬申の乱」が勃発し、大津宮は廃絶しました。

一般観覧
大津京跡・近江神宮・崇福寺跡など

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