淀殿 (生年不詳-1615)

豊臣秀吉の側室。名は茶々。
近江国小谷城主・浅井長政の娘として生まれます。母は織田信長の妹・お市。天正元年(1573)、その信長に小谷城を攻められ、長政は自刃します。母・お市と茶々たち三姉妹は救われ、ともに尾張国に移住し、そこでお市が柴田勝家に再嫁したため一家は越前国北ノ庄城に移ることとなります。しかし天正11年(1583)、北ノ庄城は豊臣秀吉に攻め入られ落城。勝家は自刃し、お市もこれに殉じます。三姉妹は仇敵の秀吉に保護され、のちに茶々は秀吉の寵愛を受けるようになります。天正17年(1589)、茶々は秀吉の側室となり、山城国淀城に移り住んだことから「淀殿」と呼ばれるようになりました。文禄2年(1593)に秀頼を生んだ淀殿は、秀吉の死後は大坂城にあって政務に介入し、秀頼の後見として権勢をふるいますが、大坂夏の陣(1614)で徳川軍に敗れ、秀頼とともに自刃しました。
淀殿は生前、戦国乱世のなか荒廃していた石山寺に、本堂や東大門などを寄進し、慶長期の伽藍の大復興を助けました。

一般観覧
石山寺本堂・石山寺東大門・石山寺三十八所権現社本殿

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