粟津ヶ原合戦史跡顕彰碑

粟津ヶ原合戦とは、寿永3年(1184)1月20日に近江国粟津にて行われた木曽義仲と源義経らとの戦いです。さきの六条河原の戦いで敗れた木曽義仲は、北陸への逃走を目論むも道中で軍は壊滅し、粟津に着くころには義仲・今井兼平・巴御前・手塚光盛・手塚別当の僅か5騎であったといわれます。巴御前は辛うじて落ち延びますが、粟津ヶ原合戦で4人は悲壮な最期をとげることとなりました。
この顕彰碑は、昭和49年(1974)3月に兼平の墓のそばに建立されました。元治元年(1864)秋に、兼平討死の地を訪れたときの勝海舟の歌「染出し 粟津のくろの むら紅葉 ちりての後ぞ いろいでにけり」が刻まれています。

時代
昭和49年(1974)

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