木曽義仲遺跡の碑

天保3年(1832)12月、木曽義仲(=源義仲)の650年忌にあたって、義仲の末裔で江戸幕府の侍医・源義長が義仲寺境内に建立したものです。高さ1.7m、「朝日将軍木曽源公遺跡之碑」と題額し、撰文が刻まれています。義仲は平安後期の武将で、1154年に生まれ、木曽で育ちました。以仁王の令旨をうけて平氏追討の兵を挙げ、北陸道から京都へ入りましたが、後白河法皇と不仲になり、源頼朝が派遣した義経軍に敗れて近江の粟津で戦死しました。義仲寺は、近江守護六角氏が義仲供養のために建立した寺院と伝えられています。

時代
天保3年(1832)
構造
高さ1.7m

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