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春日神社

縁起によれば、久寿元年(1154)に奈良の春日大社の分霊を勧請したのが始まりとされます。本殿は入母屋造、文保3年(1319)の建立で、重要文化財に指定されています。二間社であるため本殿中央に柱が位置す...

大津別院

浄土真宗大谷派、京都・東本願寺の別院です。慶長5年(1600)、教如による創建と伝わります。現在の本堂は慶安2年(1649)、書院は寛文10年(1670)の建築で、ともに重要文化財に指定されています。...

神田神社

祭神は、彦国葺命です。鳥居をくぐり、池の側の参道を進んださきに、緑の樹林を背景として本殿が建ちます。本殿は三間社流造、檜皮葺の建物で、建徳元年(1370)に造営されたことを示す棟札が見つかっています。...

満月寺

正式には、海門山満月寺といいます。臨済宗大徳寺派の寺院で、平安時代に、比叡山横川の恵心僧都源信が琵琶湖の湖上安全と衆生済度のため、湖上に浮御堂を建立したのが始まりとされています。境内の客殿は宝暦4年(...

小野篁神社

小野神社の境内末社で、祭神に平安時代の歌人であり優れた官僚であった小野篁を祀ります。社伝によれば、暦応2年(1339)に佐々木氏頼が篁・道風の両社を建立したとされています。本殿は、暦応4年の棟札が残る...

小野道風神社

小野神社から南へ400mほど離れた飛地境内にあり、小野道風を祭神として祀ります。暦応4年(1341)の棟札が残る本殿は、全国でも珍しい切妻造の本殿で、重要文化財に指定されています。道風は小野篁の孫にあ...

伊豆神社

祭神は、大山祇命で、伊弉諾尊と伊弉冉尊とのあいだに生まれた神様として知られています。社殿によれば、寛平4年(892)、諸国を行脚していた延暦寺の僧・尊意僧正が、伊豆三島明神をこの地に勧請したことに始ま...

天皇神社

祭神は、素盞鳴尊です。社伝によれば、康保3年(966)に京都・八坂神社から牛頭天王を勧請して創始したと伝え、もとは「和邇牛頭天王社」と呼ばれていましたが、明治時代に「天皇神社」と改めました。本殿は正中...

還来神社

藤原旅子を祭神として祀ります。旅子はこの地に生まれ、のちに桓武天皇の夫人となり京都へうつり、淳和天皇を生みますが、30歳という若さで京都・西院の地で亡くなります。旅子は死後、遺言によって生まれ故郷の梛...

小野妹子神社

唐臼山古墳上にある、小野妹子を祀った神社です。妹子は、近江国滋賀郡小野の出といわれています。推古15年(607)、聖徳太子に登用され、最初の遣隋使として大国・隋との対等な外交交渉を切り拓くべく中国に渡...

小野神社

祭神は、小野氏の祖である天足彦国押人命と米餅搗大使主命で、奈良時代から平安時代にかけて小野氏の氏神として栄えました。米餅搗大使主命は日本で初めて餅つきをしたと伝えられており、菓子作りの神様としても信仰...

明王院

貞観元年(859)、延暦寺の僧で天台修験の創始者・相応和尚による創建と伝わります。 相応は、かねてより生身の不動明王を拝したいとの願いをもって、葛川谷に深く分け入り、草庵を結び修行をつんでいました。あ...

地主神社

貞観元年(859)、延暦寺の僧・相応和尚がこの地に明王院を建立した際、その鎮守として祀ったのが地主神社のはじまりと伝わります。 祭神は国常立尊ですが、この地の地主神である思古淵明神も祀られています。思...

法楽寺

妙見山の麓にある天台宗の寺院です。平安時代、文徳天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝わります。本尊の木造薬師如来坐像は12年に一度開扉される秘仏で、重要文化財に指定されています。...

諏訪神社

関津の丘の頂上部に鎮座しています。祭神は建御名方神です。本殿は一間社流造、拝殿は入母屋造で、あたかも露出した巨石の上に乗るように建てられており、古くから巨石信仰があったものと考えられています。関津の地...

八幡神社

祭神は、応神天皇です。天暦2年(948)に椋本明神を山城国から勧請したことにはじまります。 「正平七年(1352)」の年紀のある棟札には、もとは別々の神社を衆議によって一社に合祀したと記されており、中...

浄土寺

鹿跳橋の東、三方を山に囲まれた静寂の地にあります。ここ大石は「忠臣蔵」で有名な大石家発祥の地であり、浄土寺は大石家の菩提寺でもあります。堂内には本尊・阿弥陀仏が安置され、その脇に大石家の守本尊であった...

佐久奈度神社

社記によると、天智天皇8年(669)に、大津宮の右大臣・中臣連金がこの地で祓を行い、社殿を建てたのにはじまるといいます。以後、この地は唐崎とならび、「七瀬之祓所」の一つとして知られるようになります。現...

近松寺

三井寺五別所のひとつです。「高観音」とも呼ばれ、近江西国観音霊場・第4番札所となっています。境内は、三井寺観音堂より小関越の道を越えてさらに南方の山上に位置し、本堂を中心に北に阿弥陀堂、南に弁才天社が...

雲住寺

三上山の大百足退治で有名な藤原秀郷(=俵藤太)ゆかりの寺院です。応永15年(1408)10月14日、秀郷より十四代目の子孫である蒲生郡小御門城主・蒲生高秀によって、秀郷追善供養のお寺として建立されまし...

立木観音(立木山安養寺)

鹿跳渓谷を望む立木山の山腹、800段の石段の先にある寺院です。 弘仁6年(815)、弘法大師がこの地を訪れたとき山中に光る霊木を見つけ、その霊木に立木のまま観音像を刻み、一堂を建立したことが始まりと伝...

大練寺

創建は平安時代の貞観18年(876)、円海和尚が開いたのが始まりと伝わります。当初は天台宗の寺院でしたが衰退の後、慶長年間(1596~1615年)に再興され曹洞宗に改宗しています。境内には、天智天皇の...

安養寺

貞観4年(862)に天台寺門宗の開祖・智証大師によって開かれ、のち浄土真宗に改められたと伝わります。蓮如上人の難を救ったとされる「身代わり名号石」の旧跡地として、とくに真宗の人々の信仰を集めます。本尊...

華階寺

浄土宗の寺院で、天文元年(1532)に僧・西念が藤原秀郷館の旧地と伝える地に建立したのが始まりとされています。境内には、三上山の大百足退治の伝説で名高い藤原秀郷(=俵藤太)ゆかりの「月見の石」と「矢の...

田上不動寺

太神山の頂上近くにある天台寺門宗の寺院で、正式名称は「太神山不動寺」といいます。平安時代初期の貞観元年(859)、三井寺を再興した智証大師円珍によって創建されました。本尊は円珍作の不動尊像です。重要文...

本多神社

祭神は、本多家中興の祖と仰がれる本多忠俊、忠次、康俊、俊次の四柱で、このうち康俊と俊次が膳所藩主に就任しています。旧膳所藩士など有志によって明治16年(1883)に建立されました。神紋は本多家の家紋「...

秋葉神社

祭神は加具都智命と大国主命の二神です。同社の立つ丘陵は茶臼山古墳と呼ばれる4世紀末から5世紀初め頃の前方後円墳で、全長は122.5mと県下第二位の規模を誇ります。また同社は、江戸時代に京都御所の火の番...

馬神神社

「興生相生大神宮」とも呼ばれ、もとは大津宿の人馬を調達する人馬会所の敷地内にあったもので、明治43年(1910)に現在地の長等神社境内に移されました。社伝によると、寛永年間(1624~1644)に牛馬...

彦田稲荷神社

この地より湖岸側は、江戸時代に彦根藩の蔵屋敷「佐和蔵」があったところで、当社はその邸内に祀られていたと伝えられています。廃藩後も引き続き祀られていましたが、戦後、現在地に移されました。祭神は彦田稲荷大...

蛭子神社

祭神は、蛭子尊です。当社は民家と民家との間の露地に鎮座し、入口には鳥居と立格子の扉を配し、奥に一間社流造の本殿が建ちます。由来は不詳ですが『大津市志』によると、かつて坂本の榊宮社の神木が倒れ、その木か...

倭神社

赤塚古墳(5世紀代)の墳丘上に建つことから、「赤塚大明神」の名でも知られています。文献史料がほとんど残っておらず、由緒は不明ですが、祭神は天智天皇の皇后・倭姫と伝えます。これは赤塚古墳の被葬者が倭姫だ...

宇佐八幡神社

祭神は応神天皇で、近江神宮の西側にあたる宇佐山の中腹に鎮座します。三井寺の『寺門伝記補録』によると、治暦元年(1065)、源頼義が自ら帰依していた行観僧正の協力を得て、宇佐山に宇佐八幡宮を勧請したと伝...

粟津神社

祭神は、大国主命と田中恒世、そして粟津開発の祖・大導寺田端之介の三神です。膳所の総社として信仰を集めます。 恒世神は、陽炎神とともに粟津の地に降臨した神で、田圃の中に天降ったことから「田中恒世」と呼ば...

戸隠神社

古来、平津村の鎮守として崇敬されてきた神社です。平安時代の中期に信濃国戸隠大明神を勧請したという伝えがあります。祭神は、天手力男神で、この神は記紀神話にも登場し、天照大神の隠れた天岩戸の扉をひらいたと...

山上不動堂

元慶年間(877〜885)、三井寺の祖・智証大師円珍によって開基されたお堂です。正式には「山上浪切不動尊」といい、その本尊はお堂の奥にひっそりと佇む磨崖仏です。この磨崖仏は「仁治三年(1242)」の銘...

早尾神社

長等山の中腹に鎮座し、入母屋造の本殿に建速素戔嗚尊を祀ります。また相殿には猿田彦を、向かって左の児大友社には大友皇子の子・大友与多王を祀ります。社伝によれば、貞観年間(859〜877)、智証大師円珍が...

大日寺

大日山の頂上にある寺院で、今は寺守の居ない無住寺です。 「大日山」の名の由来は、奈良時代の僧・行基が、この山全体を大日如来の姿とみなし、山頂部の自然石に頭部を彫ったことに因るといわれています。ただ、そ...

西蓮寺

現在は浄土宗の寺院ですが、寺の由来書によれば、もとは石山寺(真言宗)の寺跡で「寺辺総堂」と呼ばれていました。本堂には江戸時代中期の作とみられる木像阿弥陀如来像が安置されています。また境内墓地には、手代...

南郷御霊神社

祭神は、奈良時代の官人で学者でもあった右大臣・吉備真備です。応安6年(1373)2月、京都下御霊神社の分霊を勧請して創建したと伝えます。いわゆる「御霊神社」は、政変などにより非業の最後を遂げた人々の怨...

北大路御霊神社

祭神は弘文天皇(=大友皇子)で、西の庄にある石坐神社と同体の神社です。壬申の乱で敗れた大友皇子の死去の地に近いことから、この地で祀られるようになったと伝わります。本殿は一間社流造で、元禄6年(1693...

新宮神社

石山寺の堂宇が点在する伽藍山の南麓にあたる場所で、「寺辺の森」と呼ばれる樹林のなかに鎮座します。主神は伊弉諾尊と伊弉冉尊です。 壬申の乱で敗れた大友皇子は、現在の石山寺周辺で自害したといわれています。...

鳥居川御霊神社

祭神は弘文天皇(=大友皇子)です。社伝によると、壬申の乱で敗れた大友皇子が自ら命を絶ったとされる「隠レ山」がこの場所であったと言われています。白鳳4年(675)、大友皇子の子・大友与多王が父の霊を祭祀...

近津尾神社

祭神は譽田別尊(=応神天皇)で八幡神を勧請したものといわれ、以前は「近津尾八満宮」とも呼ばれていました。伝えによると、承安3年(1173)、後白河院が石山寺に行幸の際、石山寺座主・公祐僧都に命じ、石山...

篠津神社

古くから中庄村の氏神として信仰されてきました。創始年代は明らかではないものの、康正2年(1456)の棟札が見つかっており、室町時代の中頃にはすでに鎮座していたことが分かります。祭神は素盞鳴命です。 現...

関蝉丸神社

平安京の東の入口にあたる「逢坂の関」の鎮守神として、また街道の安全を守る道祖神として創建されたと考えられています。上社と下社に分かれ、祭神は、上社が猿田彦命、下社が豊玉姫命を祀ります。天慶9年(946...

唐崎神社

日吉大社の摂社の一つです。創建は持統天皇の時代と伝わり、祭神に女別当神を祀ります。かつては「女別当神社」とも呼ばれ、婦人病に霊験ありとして女性から広く信仰をあつめました。また、古くから祓の霊場としても...

和田神社

社伝によると創祀は白鳳34年(675)とされ、祭神は水をつかさどる高_神です。創祀当初は「元天皇社」や「八大龍王社」と呼ばれていたといいます。江戸時代には膳所城下町を構成した5つの村の一つ、木下村の氏...

正法寺

京都と滋賀の境にある標高443mの岩間山山腹に建立された寺院で、正式名称は「岩間山正法寺」です。西国三十三所観音霊場の第12番札所として信仰を集めます。開創は養老6年(722)、泰澄法師がこの地で修行...

石坐神社

石坐神社は天智天皇の頃の創建と伝えられます。祭神は天智天皇・弘文天皇など六柱で、「延喜式」に記される古社でもあります。八大竜王社とも呼ばれ、その名のごとく水の神様でもあります。石坐神社は、かつて御霊殿...

膳所神社

膳所神社は奈良時代の創祀と伝えられます。中世においては諸武将からの崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉や秀吉夫人の北政所(きたのまんどころ)、徳川家康などが神器を奉納したという記録が残っています。表門は、明治...

天孫神社

天孫神社は桓武天皇にいわれのある海運神で、10月の「大津祭」で有名です。「四宮神社」とも呼ばれる所以は、彦火火出見尊、国常立尊、大名伴遅尊、帯中津日子尊の四柱を祀ることから、また、彦火火出見尊が天照大...

建部大社

瀬田の唐橋の東約500mに所在。近江一の宮といわれ、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。祭神は日本武尊。奈良時代に神崎郡建部郷から瀬田大野山(所在不明)山頂に遷され、その後、建部氏によって現在地...

近江神宮

近江神宮は天智天皇を主祭神としています。大津宮を開いた天智天皇をまつるため、皇紀2600年の昭和15年(1940)、宮跡に近い現在地に創建されました。神宮造営の際には数多くの滋賀県民の奉仕があったと言...

義仲寺

江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚であったが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644~1694)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立...

法明院

三井寺の律院として江戸時代中頃に義端和尚によって創建された。以来、多くの学僧を輩出し、明治期には上野の博物館(現在の東京国立博物館)の創設者として初代館長をつとめた町田久成や岡倉天心とともに日本美術の...

三井寺

天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。7世紀に大津京関連の寺院として建立され、8世紀中頃に智証大師円珍が天台別院として中興した寺院である。 境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとさ...

微妙寺

微妙寺は三井寺五別所のひとつ。別所とは平安期以降、広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた別院で、他に水観寺・近松寺・尾蔵寺・常在寺があり、総称して「三井寺五別所」という。微妙寺は正暦5年(99...

十八明神社

十八明神は寺院の伽藍を守護する神で、智証大師が貞観17年(875)に創建したと伝える。現在の社殿は天保7年(1836)に再建された。...

宝寿院

宝寿院は、三井寺の南院に所属する僧房で、旧くは最楽坊と称し、慶長年間(1615~1624)に宝寿坊法印良玉によって再興された。建物は、安永7年(1778)の再建で、現在は三井寺を宗家とする三井古流煎茶...

本寿院

本寿院は、三井寺の南院に所属する僧房で、慶長年間(1615~1624)に松養坊浄眼によって再興された。現在の建物は、文久2年(1862)に再建されたもので、平成26年に大改修を施し、参詣者のための休憩...

妙厳院

妙厳院は、三井寺の南院に所属する僧房で、慶長18年(1613)に安養院正玄法印により中興された。慶長3年(1598)の坊領は20石2斗8升。...

水観寺

長久元年(1040)、明尊大僧正によって創建された五別所寺院のひとつ。現在の本堂は、明暦元年(1655)の再建で、昭和63年(1988)に現在地に移築された。...

石山寺

大本山・石山寺(真言宗)は、石山寺一丁目の伽藍山の麓に寺域をもちます。縁起は天平19年(747)、聖武天皇の命により良弁(ろうべん)が開いたとされ、後の天平宝字5年(761)に伽藍が整備されました。平...

密蔵院(島崎藤村ゆかりのお堂)

明治26年(1893)、島崎藤村が20歳のころ、石山寺の門前にあった石山寺の茶丈密蔵院に約2ヶ月間滞在しました。その時のことを「茶丈記」と題して雑誌『文学界』に寄稿しています。現在、密蔵院は、東大門か...

金龍龍王社

大日如来の化身、石山寺の守護神で除災招福をつかさどると言われています。...

龍蔵権現社

本堂へ向かう大坂(石段)の半ばに東面して建つ龍蔵権現社は、宝治元年(1247)、勧進沙門祐円が再興しましたが、天明のころ朽損し、明和年間(1764~1772)再興されました。...

石山寺八大龍王社

八大龍王社は、東大門から無憂園のさらに奥へ進んだ場所に位置し、龍穴の中島に建てられています。龍穴は、炎天下でも請雨法を修すれば必ず雨が降るという池で、「石山寺縁起絵巻」には、石山寺の僧侶歴海和尚がここ...