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膳所焼美術館

膳所焼は、小堀遠州の七窯の一つに数えられる焼物で、主に茶入や水指などの茶器として製作・使用されてきました。寛永年間(17世紀初期)の記録にも見られることから、膳所藩主の御用窯として出発したものと考えら...

宮本家住宅主屋

建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの通訳を務めた宮本文次郎の住居として、昭和5年(1930)に建築された洋風住宅です。設計はヴォーリズ建築事務所。構造は木造二階建て、寄棟造で、屋根はスペイン瓦葺です...

龍谷大学瀬田学舎樹心館

建物は、明治18年(1885)に大阪南警察署庁舎として建築されたものです。その後二度の移築を経たのち、平成6年(1994)に現在地に礼拝堂として移築され、名称も「樹心館」と改められました。構造は木造二...

浮御堂

平安時代、比叡山横川の恵心僧都源信が、湖上交通の安全と人々の救済を願って建立したと伝わります。湖上に浮かぶ浮御堂の美しさは、近江八景「堅田の落雁」としても広く知られ、松尾芭蕉をはじめとした多くの文人が...

日本基督教団堅田教会

昭和5年(1930)竣工、ヴォーリズ建築事務所の設計による教会堂です。単廊式の会堂で、会堂部にはキングポストの簡潔な小屋組をあらわします。正面中央上部にチューダーアーチの4連窓を開け、右手にトンガリ屋...

滋賀県立美術館

1984年に滋賀県立近代美術館として開館しました。収蔵点数は1,808件(2021年3月現在)と県立の美術館としては比較的小さい規模ではありますが、日本画家の小倉遊亀や染織家の志村ふくみのコレクション...

大津市埋蔵文化財調査センター

市内の遺跡の調査を行い、出土した遺物などの収蔵、保管、調査、研究をする施設です。またその成果を、センター内の展示室で「発掘調査成果速報展」として公開するほか、さまざまな講座や体験学習を実施しています。...

滋賀県埋蔵文化財センター

昭和55年(1980)4月1日の開所以来、県下各地の遺跡や遺物を調査・研究するとともに、発掘された遺物や調査記録を整理・保管しています。また、埋蔵文化財への理解と愛護精神を深めてもらうため、『埋文ニュ...

旧琵琶湖ホテル

昭和9年(1934)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築されました。設計は東京歌舞伎座などの建築で知られる岡田信一郎で、鉄筋コンクリート造でありながら、社寺建築を模した外観を持...

滋賀県庁舎本館

現在の建物は、県庁舎建築を得意とし東京・日比谷公会堂などを手掛けた佐藤功一と、建築装飾を得意とした國枝博による共同設計で、昭和14年(1939)5月の竣工です。 ロ字形建物の正面に両翼を設けた鉄筋コン...

大津百町館

江戸時代、大津は宿場町・港町・園城寺(三井寺)の門前町として大いに賑わい、元禄年間(17世紀後半)には町数100カ町、人口1万8千人を超える商業都市として栄えました。その繁栄ぶりは「大津百町」と称され...

大津祭曳山展示館

大津祭は、湖国三大祭りの一つで、400年の歴史をもちます。コンチキチンのお囃子とともに、京町三丁目の天孫神社から華麗な13基の曳山(市指定有形民俗文化財)が市街地一帯を巡行します。曳山はいずれも江戸時...

蘆花浅水荘

蘆花浅水荘は、地元膳所出身で近代日本画壇の巨匠・山元春挙の別邸です(建物は重要文化財)。邸内には師・森寛斎らをまつる記恩堂が建ち、庭園は旧来の築山や複雑な石組を排し、得意の風景画の手法を採用することで...

大津市歴史博物館

こちらは大津歴史博物館です。 京都にも近く文化的都市として発展してきた大津は、市町村としては全国第三位の国指定文化財保有件数を誇ります。 大津歴史博物館は、今に伝わる数多くの文化財を収集、保管、調査研...

三尾神社

こちらは、三尾(みお)神社です。 太古の頃、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が長等山(ながらやま)の地主神(じぬしのかみ)として降臨したのが縁起の始まりとされます。 伊弉諾尊はいつも赤、白、黒三本の腰帯を...

長等神社楼門

こちらは、長等神社楼門(ながらじんじゃろうもん)です。 明治38年に建立されました。 この楼門は室町時代頃の様式にのっとったもので、明治時代の楼門の代表作です。 柱と柱で囲まれた中央が出入り口となって...

大津市旧大津公会堂

昭和9年に「大津公会堂」として建設されて以来、名称や用途を変えながら市民の交流の場として親しまれてきた。 昭和60年からは、大津市社会教育会館の名で社会教育の拠点として利用されてきたが、施設の老朽化に...

観音堂書院

京都嵯峨にあった旧村雲御所の書院。村雲御所は文禄5年(1596)、豊臣秀次の生母(秀吉の姉)日秀尼により秀次の菩提を弔うため後陽成天皇から瑞龍寺の寺号を賜り創建された。昭和36年(1961)に京都から...

地蔵堂(南院札所伽藍)

長等神社から観音堂へと登る石段の中程に建つことから「中阪地蔵」と呼ばれている。享保19年(1733)の『近江輿地志略』には「坂の半にあり、地蔵菩薩の像長五尺二寸、定朝作なり」とあり、現在のお堂は、文政...

三井寺文化財収蔵庫

三井寺の開祖・智証大師生誕1150年を記念して平成26年(2014)10月に開館した鉄骨鉄筋コンクリート造り平屋建、延べ床面積464平方メートルの収蔵庫で、内部には、桃山障壁画の最高傑作と称される狩野...

護法社預坊 表門及び門番所

こちらは、護法社預坊(ごほうしゃあずかりぼう)である財林坊(ざいりんぼう)の表門及び門番所(もんばんしょ)です。 預坊とは三井寺の新羅社や唐院などを管理する僧侶の住まいを指します。 護法社預坊は江戸時...

鐘楼(南院札所伽藍)

屋根は檜皮葺で、一階部分に城の天守台のように裾の広がった袴腰を付ける総ケヤキ造の鐘楼(しゅろう)。全体の均斉もよくスマートな美しさを示す。現在の建物は、天明2年(1782)建立されたものを文化11年(...

手水舎(南院札所伽藍)

六注造、吹き放しの水舎。中央に六弁の水盤が据えられ、周囲を六角形の手水鉢と溝が取り囲む。内部に明治14年(1881)の建立を記す扁額がかけられている。...

絵馬堂(南院札所伽藍)

観音堂の境内の東端の切り立った崖に接して建つ。観音霊場として絵馬の奉納が多いことに対応したもので、6本の柱が露出した吹放しの簡素な建物である。...

行者堂

もと西国14番札所伽藍に属する不動堂であったが、明治11年(1878)に西南戦争出征記念碑の建設にあわせて天神山に移され、明治33年(1900)に現在地に移築された。宝形造、本瓦葺の建物で、修験道の開...

総門

元来は三井寺南院の総門として建立された。中世以降、三井寺は北院、中院、南院の三院に分かれ、多くの僧兵を擁したことから外周には濠を構え、石垣で枡形をつくり厳重な山門が設けられていた。現在の総門もかつての...

唐院四脚門

唐院は、金堂から観音堂へ向う参道の山側に一段高く石垣と土塀で囲われた区域で、智証大師の御廟である浄域への正門として寛永元年(1624)の建立された。建立当初は、控柱のない棟門であったのを承応4年の修理...

熊野権現社

平治元年(1159)に白河天皇の皇子・行慶大僧正が、三井修験道の鎮神として勧請したのにはじまる。その後、三間社流造の社殿として応永5年(1398)、文亀元年(1501)、慶長6年(1601)と度々建て...

霊鐘堂(弁慶鐘)

昭和初年に古鐘堂の古材をいかして改築したもの。堂内には重要文化財の霊鐘「弁慶の引摺鐘」として名高い大鐘と「弁慶の汁鍋」が安置されている。汁鍋は、むかし僧兵たちが用いたことから「千僧の鍋」とも称され、三...

弁天祠(釈迦堂)

釈迦堂前の池にまつられている。天和3年(1683)に唯覚坊周舜によって建立された。当初は弁財天のほかに脇侍として多聞天、大黒天もまつられていたと伝える。文久元年(1861)に再建され、昭和7年(193...

教待堂

鎌倉時代の説話集『古今著聞集』にも紹介されている教待和尚をまつるお堂。教待和尚は智証大師入山まで三井寺を護持していた不思議な老僧で、三井寺を大師に譲り石窟に姿を隠したという。後に大師が石窟上にお堂を建...

園城寺護法善神堂(千団子社)

護法善神堂は、子供の守護神・鬼子母神(重要文化財)をまつり、毎年5月に行われる祭礼「千団子祭り」で親しまれている。祭礼の隆盛とともに享保10年(1725)から大規模な整備が行われた。南北約20m、東西...

園城寺毘沙門堂

もと三井寺五別所のひとつ尾蔵寺の南勝坊境内に元和2年(1616)に建立された。明治43年(1910)に南院の上三尾社近くに移され、昭和31年(1956)の解体修理に際して現在地に移築された。平成元年(...

園城寺観音堂(南院札所伽藍)

西国観音霊場の第14番札所。本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏である。後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝える。その後、...

園城寺百体堂

堂内正面には、三井寺の如意輪観音像を中心に西国三十三所の観音像をまつり、左右に坂東三十三所、秩父三十四所の合わせて百体の観音像を安置する。江戸中期以降、庶民のあいだにまで広がっていった観音巡礼信仰の高...

園城寺観月舞台

長等山の斜面にそって足代柱を立てて櫓に組み上げた懸造(舞台造)で、檜皮葺屋根が柔らかい曲線を描く優美な建築である。眼下に琵琶湖の景観が広がり、琵琶湖疏水と大津の町並みを望む。江戸時代から琵琶湖を展望で...

園城寺一切経蔵(経堂)、八角輪蔵

仏典類を網羅した一切経(大蔵経)を収める書庫。内部を鏡天井とし、軒の_の間隔を広くとった疎_(まばらだるき)、花頭窓、欄間には波形格子をたてるなど典型的な禅宗様の経堂で、もとは山口の大内氏第26代当主...

園城寺鐘楼(三井の晩鐘)

慶長7年(1602)に三井寺長吏・准三宮道澄によって梵鐘とともに建立された。内部には近江八景の「三井晩鐘」知られる巨大な梵鐘がつるされている。この鐘は伝説の古鐘「弁慶の引摺り鐘」の跡継ぎとして豊臣家に...

園城寺唐院大師堂

智証大師の御廟として唐院の中心建築である。屋根は宝形造、檜皮葺の簡素なお堂であるが、堂内には秘仏である国宝に指定された2躰の智証大師坐像(中尊大師・御骨大師と称する)と重要文化財の黄不動尊立像が厳重に...

園城寺唐院潅頂堂

入母屋造、檜皮葺、正面中央に軒唐破風を設ける上品で軽快な住宅風建築である。慶長年間に大師堂の拝殿として建立されたもので、内部は前後2室に分かれており、伝法潅頂などの密教儀礼が行われる。...

園城寺塔婆(三重塔)

慶長6年(1601)、徳川家康が三井寺に寄進したもの。もと奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔で、豊臣秀吉が文禄3年(1594)に伏見城に移していたのを再び移建した。軒深く三重の釣合もよく、相輪の...

園城寺勧学院客殿

光浄院客殿とともに書院建築の代表的遺構。室町時代の武家住宅の典型である「主殿造」の様式を伝える貴重な書院として知られている。慶長5年(1600)に毛利輝元によって建立された。内部の間取りは3列9室に分...

園城寺大門(仁王門)

三井寺の表門で、檜皮葺の二階建ての楼門。もとは天台宗の常楽寺(湖南市石部町)にあったのを豊臣秀吉が伏見城に移し、その後、慶長6年(1601)に徳川家康が三井寺に寄進した。全国でも有数の美しい楼門として...

園城寺食堂(釈迦堂)

檜皮葺屋根の簡素な住宅風建築。御所の清涼殿を移築したと伝え、多くの僧や衆徒を擁した寺院では食堂(じきどう)として用いられたという。現在は、清涼寺式釈迦如来像を本尊としてまつることから釈迦堂と呼ばれてい...

園城寺閼伽井屋、三井の霊泉(閼伽井屋内部)

閼伽(あか)とは水のことで、仏に供える水や花を用意する施設が閼伽井屋である。金堂と同じく桃山風の秀麗な建物で、石組に囲まれた内部には、天智・天武・持統の三帝の産湯に使われことから三井寺の名の由来となっ...

園城寺金堂

三井寺の総本堂。正面、奥行とも23mをこえる堂々とした仏堂で、重厚さのなかに檜皮葺の屋根が軽快で美しい名建築として知られている。内部は、外陣・内陣・後陣に区切られ、本尊・弥勒仏を安置する内陣中央は床を...

園城寺新羅善神堂

三井寺の北院伽藍の中心。 14世紀前半に足利尊氏によって再興された三間社、流造(ながれづくり)を代表する社殿建築。外観には目立った装飾を使わず、 簡素で上品な建築となっている。内部には開祖・智証大師ゆ...

園城寺光浄院客殿

日本の住宅建築の源泉となった書院造の代表的遺構。三井寺の僧で、瀬田城の城主として豊臣秀吉に仕えた武将でもあった山岡道阿弥景友の建立と伝える。内部の一之間、二之間には狩野山楽をはじめ狩野派による障壁画(...

大黒天堂

万寿元年(1024)に、ご本尊は三人の僧の夢のお告げにて湖水より出現しました。...

大湯屋

大黒天堂の西に建ち、妻を正面とする切妻造の建物で、内部は前室、脱衣場、浴室の三室構成となっています。「石山寺年代記録」には、現在の建物として浴室が、退転した建物として大湯屋が挙げられていますが、浴室は...

光堂

平成21年(2009)、石山を発祥の地とする東レ株式会社によって寄進された堂宇です。鎌倉時代に存在したという「光堂」を復興したもので、本堂と同じ懸造となっており、阿弥陀如来を祀っています。...

閼伽井屋

本堂の下の南寄りにある井戸で、本尊の御座の下から湧き出ていると伝えられており、本尊にお供えする水はここから汲まれます。...

芭蕉庵

月見亭すぐ隣に立つ平屋建ての茶室が芭蕉庵です。元禄年間(1688~1704)、幻住庵に滞在していた松尾芭蕉は度々石山寺に訪れ、この地に滞在したと伝えられています。...

心経堂

花山法皇西国三十三所復興一千年記念行事の一環として、平成2年(1990)に建立された堂宇で、多宝塔の北東の一段高い場所に位置します。内部中央には如意輪観世音菩薩と、石山寺に奉納された写経を納める輪蔵が...

観音堂

本堂の東側に、毘沙門堂の南に西面して建つ観音堂は、石山寺の本尊如意輪観音を中心に、西国三十三所観音霊場の観音が祀られています。江戸時代に石山寺の一_であった尊賢による「石山要記」には、宝暦年中に京都の...

石山寺鐘楼

本堂の東側に経蔵と向かい合うように建てられている鐘楼は、寺伝では源頼朝の寄進とされていますが、元徳年間(1329~1331)頃に改築されたと考えられています。重層袴腰で、上層は正背面が5.6m、両側面...

石山寺多宝塔

硅灰石の上方にそびえるように建つ多宝塔は、源頼朝に寄進され、下層の須弥壇上框裏面の墨書から建久5年(1194)に建立されたことがわかっています。建立年代が明らかな多宝塔の中でもっとも古い多宝塔であり、...

石山寺三十八所権現社本殿

天智天皇までの歴代天皇を祀る石山寺の鎮守社。一間社流造、檜皮葺で、本堂の東側の硅灰石の上に建っています。慶長期の伽藍復興時に本堂の礼堂とともに建立されました。...

石山寺経蔵

16世紀ごろに建立された高床の校倉で、県下で最古の校倉造です。本堂の北東の一段高い場所に立っています。かつては、「石山寺一切経」(重要文化財)と「校倉聖教」(重要文化財)が収められていました。...

石山寺東大門

石山寺の正門で、瀬田川沿いに東面しています。寺伝によれば鎌倉時代の建立とされますが、慶長期の淀殿の寄進による伽藍再興の際、新築に近い大規模な修理が行われたと考えられています。建ちが高く屋根が大きい、全...

石山寺月見亭

後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、はるかに琵琶湖を望みながら瀬田川の美しい風景を楽しむことができます。崖に張り出して立つ懸崖造の建物で、懸崖の部分は板で覆われ、袴腰付の楼のような外観となってい...

石山寺毘沙門堂

本堂の東側、観音堂の北側に西面して建つ毘沙門堂は、兜跋毘沙門天(平安時代、重要文化財)・吉祥天・善膩師童子を祀る三間堂です。実際には正方形の平面ですが、間口三間に対して、奥行二間とし、方三間にしていな...

石山寺本堂

滋賀県最古の木造建造物で、永長元年(1096)に改築された正堂(内陣)と、慶長7年(1602)、淀殿の寄進により改築された礼堂(外陣)を相の間によってつなぐ複合建築です。礼堂は硅灰石の岩盤にせり出しで...

源氏の間

本堂の相の間の東端にある東西に二間続きの部屋は、紫式部が参籠し『源氏物語』を起筆した場所と伝えられており、「源氏の間」と呼ばれています。この部屋は元々南北に二間続く部屋で、主に天皇、貴族、高僧の参拝や...

石山寺御影堂

真言宗の開祖弘法大師と石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂です。単層の檜皮葺で、内部は室町時代初期を降らない様式となっています。江戸時代の尊賢僧正による「石山要記」「石山寺年代記録」によれば、...

石山寺蓮如堂

現在蓮如上人が祀られている蓮如堂は、硅灰石の崖にせり出しで建つ懸造の堂宇で、慶長期に三十八所権現社の拝殿として建てられましたが、神事にも仏事にも使用できるようになっています。顕密寺院の鎮守拝殿の一類型...