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石山詣

平安時代、貴族による石山詣が盛んになり、女流文学者も数多く石山寺を訪れたといいます。彼女たちは、石山寺への参詣や、参籠の日々を作品に書きとめ、石山の地を舞台に多くの和歌を詠んでいます。 『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は、 […]

三鈷の松

大同元年(808)、唐での修業を終えた弘法大師は、帰国の折に師・恵果和尚から密教法具の一つである三鈷杵を賜ります。大師はその三鈷杵に願いを込め「わたしが漏らすことなく受け継いだ密教を広めるのにふさわしい地へ行くように」と […]

薫聖教

石山寺の寺伝で「薫聖教」と呼ばれ、代々座主によって大切に伝えられてきた一群の経巻です。第三代座主・淳祐内供自筆の聖教として国宝に指定されています。 淳祐内供は幼くして家を出、真言宗小野流の僧・観賢のもとで出家し石山寺普賢 […]

仏名会

過去・現在・未来あわせて三千仏の名を唱え、五体投地を行うことで、自らの罪障を懺悔し消滅するための法要です。本来は、新しく僧侶になった者「新発意」のための行ですが、石山寺では一般参加が可能です。 毎年12月6日~8日の三日 […]

石山寺創建の縁起

西国三十三所観音巡礼の十三番札所としてにぎわいを見せる石山寺は、奈良時代、聖武天皇の治世に創建されたと伝えられます。 ある時、聖武天皇は大仏の造立を思いたち、僧・良弁に材料となる黄金の探索にあたらせました。良弁は大和国金 […]

源氏物語と紫式部

紫式部は早くに母を失くし、文人であった父・藤原為時のもとで育ちました。幼少の頃より漢籍に親しみ、優れた素質を示したといわれています。長徳4年(998)頃、官吏をしていた藤原宣孝に嫁ぎますが、わずか二年で死別すると、以後は […]

悪源太のかくれ谷

源義朝の長男・義平は、若くして武勇のほまれが高く、「悪源太」と称されました。「悪」は強いという意味、「源太」は源家の長男の意味です。 平治の乱(1159)で、父・源義朝は平清盛との勢力争いに敗れ、京都から東国に逃れました […]

青鬼まつり

石山寺屈指の学僧・朗澄律師の遺徳をしのぶお祭りです。 「学問の寺」とも称される石山寺は、『石山寺一切経』や『石山寺校倉聖教』をはじめとする膨大な経典・聖教群を現在に伝えます。朗澄律師はこれらの経典類の収集・整備・保存に尽 […]

千日会

一日の参拝が千日分の功徳を持つとされる日に営まれる法要です。 この日、石山寺では観音菩薩の宝前にて、座主の親修の下に一山の僧侶が出仕し、護国の英霊の冥福を祈るとともに万霊の供養を行い、万灯供養が厳修されます。 古来、石山 […]

送り火法要

千日会およびお盆入りに迎えた先祖の魂を供養し、舟に乗ってお帰りいただくための法要です。 石山寺では、先の千日会(8月9日)で使用した塔婆を提灯からはずし、盂蘭盆会法要(同月13~16日)で奉拝した後、この送り火法要にて焚 […]